比企点描>
武蔵松山城 |
比企の城館めぐり-2 |
むさしまつやまじょう | |
掲載2020.8/27 |
正式には「松山城」跡。四国に立派な松山城があることから「武蔵」がついたようだ、「武州」がつく時も。「東」松山市と同じ様な境遇なのだろう。東松山市民から見ると市野川向こうの吉見町にあることから、市の広報とかでの案内がない。吉見百穴の裏山程度の認識しかなかった。「比企城館跡群」の一つとして国の史跡に指定されている。 |
行ってみた。市野川橋の近く、当選寺先の道路側に案内板と階段があるので急勾配の細い道を息を切らしながら登り一息つけるところが笹曲輪。横巻きに行くと急階段を登り切った先に「本曲輪」の平地が現れる。「夏草や強者共の夢の跡」を感じる草木に覆われた山の中、焼失した神社の礎石とその横に案内板があるのみ。 |
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歴史的な河越夜戦や松山城風流合戦はここでは触れませんが、戦国時代の激戦の地であったことは偲ばれる。木々や夏草に覆われて全体が見渡せないが、深い谷の空堀が曲輪の周りに張り巡らせてあり、実戦で威力を発揮した平山城だと汗をかきながら実感。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本曲輪(ほんくるわ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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撮影 2020.8/26 |