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 2023.9/28更新
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望月の一本松地蔵

高坂並木通りから九十九川にかかる「地蔵橋」を渡りすぐ先の伊藤小児科の横を折れ少し下ると右側にこんもりとした松の木の一画がある。ここに石地蔵が祀られています。良く通る道でも、立ち寄って見ることも無かったのですが、気になっていたので足を止めて行ってきました。なお、名前が分からないので勝手に「望月の一本松地蔵」としましたが、お分かりの方がいらっしゃいましたら連絡ください。1974年に架設された地蔵橋という名前もこの由緒ある石地蔵に由来していると考えられます。

高坂丘陵地区白山台の住宅街を臨む写真右側の木立がそうです。

お地蔵さん

 北向き地蔵尊で「普門品供養塔」(ふもんぼんくようとう)と名前がある。「宝暦四甲戌天正月吉日」とあるので今から260年近く前の江戸後期の建立。(宝暦四年は西暦1754年)結構歴史を刻んでいます。台座への補強もされているが、立派な舟形後背のお地蔵さん。  合掌。

鎌倉街道

お地蔵さんの横に「史跡 鎌倉街道跡」の石碑があります。

ここは昔々「鎌倉街道」であったとの説明が記されている。高坂丘陵地区開発で南はすぐに途絶えてしまっている。この道は単なる高坂駅方面の裏道ではなく、由緒正しい古道なのだ。それで昔、このメインストリートからの分かれ道ということでお地蔵さんが祀られたのかと勝手に想像してみるが、この先に巌殿観音の門徒で「長松寺」があったとのことだがその参道の始まりだったのかもしれない。

石碑には昭和59年4月10日と記されているので、高坂丘陵地区街開きと同じ時期に地元の人達で変わる郷土の記念碑として後世に伝えるために建立した。こうして”新住民”が30年近くして歴史の勉強に訪れたのだった。

ふせぎとオリエンテーリング ポスト

ふせぎ

時々この近隣の田舎道の辻で目にするわら細工の得体の知れないものの名前がやっと分かった。「ふせぎ」という。集落の入口や外れで魔除け、結界をしめすもの。ここでは松の幹に縛り付けられている。たしかに昔は村外れの場所。


オリエンテーリング ポスト "A"

オリエンテーリング協会の常設コースとなっている。高坂駅から「高坂A」 10kmコースと「高坂B」 7km-コースがある。もしオリエンテーリングするとしたら「高坂A」の9番ポスト(コントロール・フラッグ)と「高坂B」の3番ポストはこの情報で楽勝です。

 

撮影日 2013.1/19

追記

2015年残念ながらこの松が枯れてしまい伐採されています。

参考 鎌倉街道

鎌倉街道「東山道武蔵路」ルート。諸説あって確定していない様だが北に向かう途中から分かれてこの高坂の地を通っていたのが分かる。

碑文に「この街道は、鎌倉より武蔵国の中央を南北に走り入間川を渡り、上戸・広谷・石井・吉田・田木を通り青鳥村・熊谷・妻沼を経て上野国新田方面に至る古道で通称鎌倉街道という。」記載が有る。